吉田 直哉(よしだ なおや、1931年〈昭和6年〉4月1日 - 2008年〈平成20年〉9月30日)は、日本の演出家、テレビディレクター。NHK専務理事待遇特別主幹。武蔵野美術大学造形学部映像学科主任教授。
がんの研究者として著名な吉田富三の長男として東京に生まれる志賀|2003|p=231。医者の血を継ぎ理科系志望だったが、旧制中学3、4年生の頃から文科系志望に変わった。旧制宮城県仙台第二中学校、旧制第二高等学校を経て、東京大学文学部の哲学(フランス哲学専攻)に進学した志賀|2003|p=231。やがて小説や芝居が書きたくなり、劇作家加藤道夫を訪ねるようになった志賀|2003|p=231。加藤は吉田がNHKに入るのを反対したが、それでも吉田がNHKに行くと言ったら、加藤は「ラジオドラマはやるなよ。ダメになるから…」と強く念を押したという志賀|2003|p=231。そこで吉田は編成局社会部に入ることにした。入局後も加藤宅を訪ね、NHKに勤めながら小説を書いた。「毀れた風景」が『中央公論』(1966年11月号)に掲載され話題になったが、深沢七郎の『楢山節考』が中央公論新人賞に推され、次点となった志賀|2003|p=231 - 232。
編成局社会部社会科に入った吉田は、1954年に『音の四季』という言葉を用いない30分のラジオ実験作を放送。次いで『マイクロフォンのための詩集』では、草野心平や三好達治の詩の朗読に、機械的な音響処理で情感を加える方法を用いた、実験的な作品に挑んだ志賀|2003|p=232。
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