丸元 淑生(まるもと よしお、1934年2月5日 - 2008年3月6日)は、作家、料理研究家。
大分県生まれ。旧制の福岡中学校から、新制の福岡県立福岡高等学校に進み、卒業
[丸元淑生『秋月へ』「原爆文学」探査④ 坂口博]。東京大学文学部仏文科卒。大学在学中に出版書肆パトリアを創設し、演劇書や島尾敏雄『地の果て』を出すが、1年で倒産、1957年株式会社パトリア書店を創設、刊行した土門拳の写真集『筑豊のこどもたち』が話題になるも、会社は倒産
[丸元淑生『秋月へ』「原爆文学」探査④ 坂口博]。
1958年『女性自身』創刊以来フリーライターとして執筆、村上進の筆名で『週刊新潮』に「黒い報告書」も書いた。1965年、『週刊女性』に社外から編集長に抜擢され、松村栄の筆名で読者の悩みに応える「わが愛の悩み」を書いたりして低迷していた部数を盛り返す。1973年新雑誌設立で退任。健康雑誌などの編集長を経て作家に
[日外アソシエーツ現代人物情報]。
1978年「秋月へ」で第80回芥川賞候補。1979年「鳥はうたって残る」で第81回直木賞候補。1980年、「羽ばたき」で第83回芥川賞候補、「遠い朝」で第84回芥川賞候補。
『丸元淑生のシステム料理学』で自身の健康のために栄養によく廉価な料理の方法について書き、以後もっぱら栄養の点から見た料理の研究家として著書多数。
2008年3月6日、食道がんで死去、74歳。
from wikipedia(名前を用いての自動収集のため、別人の場合もあることをご了承ください)