宗 左近(そう さこん、1919年5月1日 - 2006年6月20日)は、詩人・評論家・仏文学者であり翻訳家。本名は古賀 照一(こが てるいち)。法政大学名誉教授。文芸誌『同時代』同人。
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福岡県遠賀郡戸畑町(後の北九州市戸畑区)に生まれる。天籟寺小学校、戸畑小学校、宮崎第二小学校、宮崎中学(現・宮崎県立宮崎大宮高等学校)、小倉中学(現・福岡県立小倉高等学校)を経て上京。旧制一高を卒業後、1942年、東京帝国大学哲学科に入学した。1945年4月、召集により横須賀海兵隊に入隊したが、精神錯乱を装い除隊というエピソードもある。
同年5月25日の東京大空襲により、母を亡くす。母と一緒に逃げ込んだ墓地の中で炎に取り囲まれた彼が「炎の一本道」(『絆――ドキュメント・わが母』)を通って脱出しようと走り去った時、母が転倒。そして、母からの「行け、走りぬけなさい、わたしにかまうな」(同書)という呼びかけに応えるがままに母を置いて走り去ってしまう。22年後に出版された『炎える母』は、この時の体験を中心にした詩集である。
東大卒業後、都立女専に就職し、フランス語を担当した。その後法政大学第一教養部、社会学部教授、昭和女子大学教授などを歴任した。
1968年、詩集『炎える母』で第6回歴程賞を受賞。1994年、詩集『藤の花』で第10回詩歌文学館賞を受賞。1996年、『宮沢賢治の謎』で第11回賢治賞を受賞。2004年、第1回シカダ賞(Cikada Prize、生命の尊厳を表現する東アジアの詩歌人を顕彰する賞。スウェーデンが制定)を受賞した。
千葉県市川市市川南に長く居住し、同市の名誉市民。没後、宗の蔵書の一部は市川市に、多くは北九州市に寄贈された。
2006年春から入院していたが、6月20日午前0時37分に東京都内の病院で死去した。87歳。その死は23日まで伏せられ、葬儀・告別式は近親者のみで行われた。
生前に出版された詩集は46冊にのぼる(詩選集を除く)。1987年から亡くなる2006年までの間は、年に1冊以上のペースで出版していた(1994年は3冊)。処女詩集の『黒眼鏡』が出版されたのが1959年で、この後1985年までに出された詩集が16冊であることから、晩年の創作の旺盛さがうかがえる。
2014年3月28日、宗の生まれ故郷である北九州市戸畑図書館内に「宗左近記念室」がオープン。2016年6月5日には終の棲家であった千葉県市川市内の里見公園で、詩碑建立の除幕式が行われた。
2000年から2012年まで、句集を対象にした宗左近俳句大賞(公益財団法人雪梁舎美術館・新潟県/新潟市主催)が開催された。2017年に宗の業績の顕彰とその精神の継承を目的に有志が「宗左近・蕊の会」を設立し、市川市内で活動を続けている。
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