阿川 大樹|あがわ たいじゅ|1954年12月1日 - は、日本の小説家、推理作家、コラムニスト、随筆家、ジャーナリスト、作曲家。日本推理作家協会会員。神奈川県横浜市在住。
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東京都で商社マンの家に生まれ、子供の頃は親の転勤により引っ越しが多かったと語っている。中学生の頃から小説家を夢見ていた。
東京都立戸山高等学校卒業。高校時代には演劇部に所属し、同部後輩の井坂聡 (映画監督) とはOBとして知り合いになる 。高校2年 (1971年) の文化祭 (戸山祭) では、演劇部公演として、『狂人とピエロの唄』という創作劇の脚本を執筆。これは謡曲『隅田川』を題材としたミュージカルであった。また、生徒会にて制服の廃止を主導したと語っている。
東京大学教養学部基礎科学科卒業。在学中、当初は東京大学演劇研究会に所属していた。1975年夏の公演用に脚本を執筆したが、野田秀樹の書いた脚本『白馬童子』と競り合い多数決で負けるという苦い思いをする。1976年に同会を母体として野田秀樹や高萩宏らと共に劇団「夢の遊民社」を旗揚げし、同劇団の座付き作曲家となる。『ゼンダ城の虜〜苔むす僕らが嬰児 (みどりご) の夜』の初演(1981年10月1日~14日、於 駒場小劇場、ヒロイン「赤頭巾」役=伊藤蘭)、『愛の嵐~親不知篇』(1977年12月、於 上智小劇場)、『快盗乱魔~亭主と間男の共存できる家族制度を求めて』 (1978年6月、於 上智小劇場・駒場小劇場、1979年3月30日~4月1日、於 渋谷パルコ裏テント)、『走れメルス~少女の唇からはダイナマイト』(1981年6月12日~7月12日、於 新宿もりえーる) での挿入歌作曲などを手掛ける。
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