椎名 誠|しいな まこと|1944年6月14日 - は、日本の作家、エッセイスト。
東京写真大学中退。流通業界誌編集長を経て、『さらば国分寺書店のオババ』でデビューし、その後『アド・バード』(日本SF大賞)『武装島田倉庫』『銀天公社の偽月』などのSF作品、『わしらは怪しい探検隊』シリーズなどの紀行エッセイ、『犬の系譜』(吉川英治文学新人賞)『岳物語』『大きな約束』などの自伝的小説、『犬から聞いた話をしよう』『旅の窓からでっかい空をながめる』などの写真エッセイと著書多数。映画『白い馬』では、日本映画批評家大賞最優秀監督賞ほかを受賞した。
また日本各地、世界各地の特に辺境に頻繁に赴き、多くの旅行記と映像記録を発表しており、紀行作家、旅行家としての面も大きい。
日本SF作家クラブ名誉会員。
1944年、東京都世田谷区三軒茶屋に5人兄弟の三男として生まれる椎名|1996|pp=344-368。父親は公認会計士椎名|1996|pp=344-368。1950年より千葉県印旛郡酒々井町と千葉市幕張に転居椎名|1996|pp=344-368。千葉市立幕張小学校を卒業。
1956年、父が死去椎名|1996|pp=344-368。翌年に千葉市立幕張中学校入学。「父親が死ぬとグレなければならないという奇妙な使命感」から不良を目指し始める椎名|1996|pp=344-368。中学時代は喧嘩に明け暮れる椎名|1996|pp=344-368。1960年、中学校を卒業し千葉市立千葉高等学校に入学椎名|1996|pp=344-368。
1963年、千葉市立千葉高等学校卒業椎名|1996|pp=344-368。同人誌『幕張じゃーなる』創刊椎名|1996|pp=344-368。
1964年、東京写真大学(現・東京工芸大学)に入学椎名|1996|pp=344-368。同人誌『斜めの世界』創刊椎名|1996|pp=344-368。
1965年、友人の車に同乗中の事故により重傷を負う椎名|1996|pp=344-368。東京写真大学を中途退学椎名|1996|pp=344-368。代々木の演劇学校に脚本の勉強に通う椎名|1996|pp=344-368。同人誌『フモリスト』創刊椎名|1996|pp=344-368。同年秋より江戸川区小岩のアパート克美荘で、高校時代の同級生である沢野ひとし椎名|1996|pp=317-319、沢野の中学時代の同級生である木村晋介らと約2年間の共同生活を行う椎名|1996|pp=326-327。
1966年、流通業界の専門誌『ストアーズレポート』を刊行しているデパートニューズ社(現・ストアーズ社)[https://www.stores.co.jp/stores-report/ 月刊ストアーズレポート]に入社。デパート業界を対象とした業界誌『調査月報』の編集を任せられる椎名|1996|pp=344-368。
1968年、渡辺一枝と結婚、東京都小平市に転居椎名|1996|pp=344-368。ガリ版誌『月刊おれの足』創刊椎名|1996|pp=344-368。
1969年、デパートニューズ社より『ストアーズレポート』を創刊椎名|1996|pp=344-368。編集長に就任椎名|1996|pp=344-368。
1974年、8ミリにてドキュメンタリー作品『神島でいかにしてめしを喰ったか…』を製作椎名|1996|pp=344-368。小金井市の8ミリ同好会に参加し、8ミリ映画の製作にのめり込む椎名|1996|pp=344-368椎名|1996|p=231。
1976年、目黒考二らと『本の雑誌』創刊号発行椎名|1996|pp=344-368。
1977年、『本の雑誌』5号の巻頭エッセイとして「さらば国分寺書店のオババ」を執筆椎名|1996|pp=344-368。7月、同誌の編集権が目黒考二から椎名に移る椎名|1996|pp=344-368。
1977年ごろ、『本の雑誌』の経費を稼ぐために、「エロ漫画の原作」のアルバイトを目黒と共同で行っていた。椎名がストーリーを考え、目黒が台本化する形式で、月4、5本は書いていたという。
1979年、『さらば国分寺書店のオババ』でエッセイストとしてデビューする椎名|1996|pp=344-368。
1980年、7月に目黒考二、沢野ひとし、木村晋介と株式会社本の雑誌社を設立。12月、ストアーズ社を退職しフリーになる椎名|1996|pp=344-368。その後は私小説、SF小説、エッセイ、ルポルタージュ、写真集などを多数発表。
1987年、株式会社椎名誠事務所設立椎名|1996|pp=344-368。
1989年、『犬の系譜』で第10回吉川英治文学新人賞受賞椎名|1996|pp=344-368。
1990年、『アド・バード』で第11回日本SF大賞受賞椎名|1996|pp=344-368。映画『ガクの冒険』公開椎名|1996|pp=344-368。
1991年、映画製作会社ホネ・フィルム設立椎名|1996|pp=344-368。
1992年、長良川河口堰反対カヌーデモに参加椎名|1996|pp=344-368。
1993年、映画『あひるのうたがきこえてくるよ。』で第10回山路ふみ子映画文化賞受賞椎名|1996|pp=344-368。
1993年から2007年まで、「週刊金曜日」編集委員を務めた。
1996年、映画『白い馬』で日本映画批評家大賞最優秀監督賞、95年度JRA賞馬事文化賞を受賞椎名|1996|pp=344-368。
1997年、映画「白い馬」でフランス・ボーヴェ映画祭グランプリ受賞、ポーランド子ども映画祭特別賞受賞。
2005年3月、「マガジン9条」発起人となった。
2011年8月、ネット・ミュージアム「椎名誠 旅する文学館」が開館。2014年、「椎名誠 旅する文学館」シリーズとして、10作の著書が電子書籍化。同年、『ぼくは眠れない』 (新潮新書)で35年間の不眠症体験について記す。
2013年~2016年、椎名主宰の雑誌『とつげき!シーナワールド!!』が出版社を変えながら5巻刊行。 2017年から『ずんがずんが―椎名誠自走式マガジン』と改名して「椎名誠 旅する文学館」から刊行開始。
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