小池 真理子|こいけ まりこ|1952年10月28日 - は、日本の小説家、エッセイスト。夫は同じく小説家の藤田宜永。主な長編作品に『恋』『無伴奏』『水の翼』『瑠璃の海』『望みは何と訊かれたら』などがあり、「短編の名手」と謳われ、『妻の女友達』『水無月の墓』『怪談』など、短編集も多く上梓している。渡辺淳一文学賞選考委員、山本周五郎賞、松本清張賞、島清恋愛文学賞など選考委員を歴任。。
1952年、東京都中野区に、父・小池清泰と母・増子の長女として生まれる。父・清泰は、東北帝国大学を卒業後、昭和石油に勤務しており、またロシア文学、ドイツ文学に傾倒していたため、多くの蔵書があり、朝日歌壇への投稿歴がある、デモ集会の締めに「勝利を我等に」をよく歌った。一番好きなフォークは高田渡の「自衛隊に入ろう」という。また、高校時代には多感な想いの中で仙台の季節を味わいつつ、散文や詩を書いていた。高校卒業後は1年間、予備校での浪人生活を送った。1972年4月、成蹊大学文学部英米文学科に入学。吉祥寺で1人暮らしを始める。大学在学中から作家となることを志し、小説を書き始める。1976年3月、大学を卒業。同年4月、本に近い場所ということから、出版社に就職、編集者となる。
1977年7月、出版社を退職し、フリーの編集者、ライターになる。エッセイ集『知的悪女のすすめ』の企画をいくつかの出版社に持ち込み始める。山手書房(当時)で、自分で書けばいい、と言われ、自ら企画に沿ったエッセイを書く。1978年7月、エッセイ集『知的悪女のすすめ』が刊行、ベストセラーとなり、エッセイストとしてデビュー。続けて関連のエッセイ集を発表する。1985年、『第三水曜日の情事』を上梓、小説家デビューを果たす。コンスタントにミステリー、サスペンス作品を発表する。1984年、藤田宜永と夫婦になる。1989年、「妻の女友達」で第42回日本推理作家協会賞(短編部門)を受賞。1990年、1万冊近い蔵書と愛猫ゴブのため、藤田宜永とともに長野県軽井沢町に移住。同時期に、ミステリーから恋愛小説へと新境地を開き、1995年には『恋』で第114回直木賞を受賞。その後も数々の文学賞を受賞。2012年には、『無花果の森』で第62回芸術選奨文部科学大臣賞(文学部門)を受賞する。また、文学賞の選考委員も務めている。2008年1月に軽井沢の自宅で火災が発生。また、父・清泰を2009年3月に、母・増子を2013年8月に亡くす。また、2018年3月には夫の肺がん宣告を受け、2020年1月に亡くす。近年の作品には、こうした経験が反映されており、人の生や死、老いなど、人生の折々で体験することをすくい取った作品が多くなっている。こうした身近な人たちを相次いで失いながら、10年かけて書き上げた一冊が2021年6月に出版された『神よ憐れみたまえ』である。
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