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須賀敦子

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経歴

須賀 敦子(すが あつこ、1929年1月19日(戸籍上は2月1日) - 1998年3月20日)は、日本の随筆家・イタリア文学者・翻訳家。
20代後半から30代が終わるまでイタリアで過ごした。日本に帰国し40代はいわゆる専業非常勤講師として過ごす。50代以降、イタリア文学の翻訳者として注目され、50代後半からは随筆家としても脚光を浴びた。代表的な著作に『ミラノ霧の風景』(1990年)、『コルシア書店の仲間たち』(1992年)など。
死去後の2014年に、イタリア語から日本語への優れた翻訳を表彰する須賀敦子翻訳賞が創設されている。
大手の空調・衛生設備業者、須賀工業(旧須賀商会)経営者の家に生まれる。カトリック系の学校に通い、後にカトリックに入信(洗礼名はマリア・アンナ)。教会での活動に打ち込みながら聖心女子大学で学んだ後、自身の進路を決めかねていたが、1年後慶應義塾大学大学院社会学研究科の修士課程に進学。フランスの神学にあこがれてパリ大に留学するために慶應を中退する。
1953年、渡仏するもパリの雰囲気が肌に合わず、次第にイタリアに惹かれるようになる。1954年の夏休みにはペルージャでイタリア語を学び、イタリアへの傾倒を決定的なものとする。1955年、26歳の時に一旦日本に戻るが、1958年、29歳の時に奨学金を得てローマに渡る。この頃からミラノのコルシア書店関係の人脈に接するようになる。
1960年、後に夫となるジュゼッペ・リッカ(ペッピーノ)と知り合う。この年の9月にはペッピーノと婚約し、翌年11月にウディネの教会で結婚。ミラノに居を構え、ペッピーノとともに日本文学のイタリア語訳に取り組む。しかし1967年にはペッピーノが急逝。1971年にはミラノの家を引き払って日本に帰国する。
帰国後は慶大の嘱託の事務員を務めながら上智大学などで語学の非常勤講師を務める。専業非常勤講師の状況は1979年、50歳になるまで続く。1979年に上智大学専任講師、1981年に慶大にて博士号取得。1985年、日本オリベッティ社の広報誌にてイタリア経験を題材としたエッセイを執筆。以降はエッセイストとしても知られる存在となっていく。
1997年に卵巣腫瘍の手術。翌年3月、心不全のため死去。

受賞歴

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