楊 海英(よう かいえい、ヤン・ハイイン)は、南モンゴル出身の文化人類学、歴史人類学者。静岡大学人文社会科学部教授。モンゴル名はオーノス・ツォクト(mn|Оонос Цогт)、帰化後の日本名は大野旭(おおの あきら)。
南モンゴルこと内モンゴル自治区オルドス生まれ。オルドスはチンギス・ハーンを祀る万人隊(Ordos Tumen)で、モンゴルの中でも特に民族主義の強い集団である。父方の祖父のノムーンは清朝・中華民国の界牌官(ハーラガチ)。家族から与えられたモンゴル名はオーノス・チョクトで、オーノスはガゼル、チョクトは火や力を表す。先祖からの中国姓は楊で、もとはガゼルを表す中国語の「黄羊」からとって羊と名乗っていたが、後に同音の楊に改める。小学生だった1974年に中国語教育が始まったため、中国名として楊海英を名乗った。
北京第二外国語学院大学アジア・アフリカ語学部日本語学科卒業。北京大学東方言語学部の受験を検討していたが、内モンゴル自治区からの入学が認められない年であったため断念する。日本から帰国した華僑や上海同文書院出の教師から自由主義の思想的啓蒙を受ける。
1989年(平成元年)訪日。別府大学の研究生、国立民族学博物館、総合研究大学院大学で文化人類学の研究を続けた。梅棹忠夫や佐々木高明、松原正毅や石毛直道、清水昭俊ら世界的研究者が結集する学問的環境の中で、自由主義とアナーキズム的薫陶を受けた。人類学の外に、日本の左翼運動の興亡に強い関心を抱き、東京大学の学生運動に参加した清水昭俊の植民地批判・帝国主義批判の思想的影響を受けている。満蒙と台湾の視点から日本の植民地統治に関する発言もある(楊海英編『中国が世界を動かした「1958」』藤原書店)。満蒙の視点に立ち、日本に対して「我が宗主国」と表現する。
大学院終了後は中京女子大学人文学部助教授を経て、1999年(平成11年)静岡大学人文学部助教授。内モンゴル人民革命党粛清事件(内人党事件)と文化大革命、中国の民族問題、チンギス・ハーン祭祀に関する儀礼研究、モンゴルの親族組織など、多分野ついて幅広く研究をすすめた。2000年(平成12年)、日本へ帰化。
国立民族学博物館教授・松原正毅(現名誉教授)と小長谷有紀教授に追随して新疆ウイグル自治区とモンゴル国、ロシア連邦で長期間調査に従事。近年ではカザフスタン共和国、それにウズベキスタン共和国などでも調査を実施している。
2006年(平成18年)、静岡大学人文学部教授。2011年(平成23年)、『墓標なき草原:内モンゴルにおける文化大革命・虐殺の記録』で司馬遼太郎賞を受賞。同書は中国語と英語、それにモンゴル語とロシア語に翻訳されている。
2020年7月28日から8月10日まで、「中国・内モンゴル自治区でモンゴル語教育維持を!」とする「母語のモンゴル語教育を維持し、発展させる為に起こした署名活動」を展開し、3641人の署名を集めた。これには日本言語学会と日本英文学会の会員たちがバックアップしていた。
2020年12月、内モンゴル自治区出身者らでつくる「世界モンゴル人連盟」を設立し、理事長に就任した、「モンゴルは歴史的に最大の危機に直面している。モンゴルとして生き残るか、中国に同化されて消えゆくかの危機だ。世界各国にいる同胞とともにモンゴル人の尊厳と未来のために戦っていく」とコメントしている。中国が進めるモンゴル語教育廃止政策やウイグル人ジェノサイドに批判的立場を取り、岩波書店が発行する『世界』と『Voice』、『正論』などの論壇誌で分析・解説している。
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