森 禮子(もり れいこ 1928年7月7日)は小説家・劇作家。芥川賞作家。
クリスチャンで独身。福岡市大円寺町(現・唐人町)生まれ。1947年、西南学院バプテスト教会にて受浸(バプテスマ)。1949年まで西南学院大学図書館に勤務。
1950年、第3期九州文学に参加し、処女作『レエヌのある風景』を発表。NHK福岡放送局作家グループのメンバーとなり、放送作家としても活動する。27歳の時に上京して『文芸首都』に入り、北杜夫、なだいなだ、佐藤愛子らと交際。小説「鎮魂曲」が「婦人朝日」の懸賞小説に入選。1963年、「未完のカルテ」で女流新人賞次席。その後、放送作家として台本を書く。新劇に熱中し、劇団現代その他のサークルに7 - 8本の戯曲を書く。ラジオ、テレビの脚本も手掛ける。1976年に「遊園地暮景」で新潮新人賞候補。しかし十二指腸潰瘍を患い、医師から「切るか、放送作家をやめるか」と迫られて小説家に転向。国際結婚した姉が住む米国の小さな町に1ヵ月滞在。その時の見聞から1980年『モッキングバードのいる町』で第82回芥川賞受賞。遠藤周作・遠山一行と共に日本キリスト教芸術センターを設立した。
2014年3月28日、膵臓癌のため福岡県志免町の病院で死去。85歳没。
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