松本 清張|まつもと せいちょう|本名まつもと きよはる、1909年〈明治42年〉12月21日 name="誕生日"- 1992年〈平成4年〉8月4日は、日本の小説家。
1953年に『或る「小倉日記」伝』で芥川賞を受賞。以降しばらく、歴史小説・現代小説の短編を中心に執筆した。1958年には『点と線』『眼の壁』を発表。これらの作品がベストセラーになり松本清張ブーム、社会派推理小説ブームを起こす国際文化論集。以後、『ゼロの焦点』『砂の器』などの作品もベストセラーになり、第二次世界大戦後の日本を代表する作家となる。その他、『かげろう絵図』などの時代小説を手がけているが、『古代史疑』などで日本古代史にも強い関心を示し、『火の路』などの小説作品に結実した。
緻密で深い研究に基づく自説の発表は小説家の水準を超えると評される江上波夫、直木孝次郎、森浩一らによる。後述。また、『日本の黒い霧』『昭和史発掘』などのノンフィクションをはじめ、近現代史に取り組んだ諸作品を著し、森鷗外や菊池寛に関する評伝を残すなど、広い領域にまたがる創作活動を続けた。
ペンネームについて、文藝春秋の担当編集者は、清張本人から聞いたとする以下の発言を伝えている。
*小説家の中山義秀|「なかやま ぎしゅう」、本名は「中山 議秀〈なかやま よしひで〉」に倣って音読みにした。清張は「ぎしゅう」が本名だと勘違いをしていたが、「いったんそれに決めてしまった以上、もう取り返しがつかないんでね。「せいちょう」のままにしたんだよ」森史朗_15。
*1950年代中盤まで「きよはる」で通していたが、「みんなが「せいちょうさん」と呼ぶから、思い切ってそちらをペンネームにした」。
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