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山岡荘八

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経歴

山岡 荘八(やまおか そうはち、1907年(明治40年)1月11日 - 1978年(昭和53年)9月30日)は、日本の小説家・作家。歴史小説を中心に活躍。本名は藤野 庄蔵(ふじの しょうぞう)。従四位勲二等瑞宝章叙勲。
自由党元衆議院議員の山岡賢次は養子。立憲民主党衆議院議員の山岡達丸は孫。作風としては、会話劇を中心としたテンポの良さが最大の特徴。
』連載再開の意気込みを語る山岡荘八(1963年)
新潟県北魚沼郡小出町(現:魚沼市)の山内家に生まれる。1918年、川で泳いでいて前額部を強打、瀕死の重傷を負い後々までこぶとして残る。1920年、高等小学校を中退して上京、博文館印刷所で文選工として働きつつ逓信省の研究所に学ぶ。1924年より印刷・製本業を始め、1932年、萬里閣に入社し、雑誌『ギャング』を編集、『変態銀座デカメロン』を連載。1933年、後妻として迎えた妻の実家である加賀安宅(現、石川県小松市)の藤野家に入り、以後、藤野姓を名乗る。妻は筆名山岡道枝。長谷川伸に入門、山岡荘八の筆名を用いる。
1938年に「約束」で「サンデー毎日大衆文芸」入選。長谷川伸の新鷹会に入会。1939年初の著書『からゆき軍歌』を上梓。1942年より従軍作家として各戦線で活動。『海底戦記』その他で野間文芸奨励賞受賞。
戦後、公職追放となるが、1950年10月13日に解除。同年より「北海道新聞」に『徳川家康』を連載、のち「中部日本新聞」「神戸新聞」などに拡大。1953年より単行本の刊行が始まり、ベストセラーとなる。1958年中日文化賞。1963年新鷹会理事。1966年文壇長者番付一位、自衛隊友の会会長となる。1967年『徳川家康』が完結し、長谷川伸賞受賞、昌平黌短期大学名誉学長。1968年『徳川家康』により、第2回吉川英治文学賞を受賞。1973年紫綬褒章受章。
保守系の政治家や文化人との付合いも多く、1963年には麻薬追放国土浄化連盟を福田恆存・市川房枝・田岡一雄・田中清玄らと結成。1974年には谷口雅春や岡田光玉、朝比奈宗源らとともに「日本を守る会」(のち日本会議)を結成し、1976年天皇在位五十年の奉祝実行委員長。
1978年9月30日、ホジキンリンパ腫に急性肺炎を併発し、東京都豊島区上池袋の癌研究会総合病院で死去。戒名は山岡院釈荘八真徳居士。没後従四位勲二等瑞宝章。

受賞歴

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山岡荘八関連つぶやき(自動取得のため関連しない情報も含まれることがあります)

918Inこの大河に文句ツイートしてる人たちは、かなり山岡荘八の小説と、それを原作とした大河と横山光輝の漫画に影響されてるな。悪い意味で。この小説が書かれた時代は仕方ないけど、今は新しい資料も出てきて通説とはかなり違ってる。大元が変わらなければ、後は面白ければいい#どうする家康
nimonic1山岡荘八の「徳川家康」だと「三河武士のど根性を示す鳥居強右衛門の壮絶な最後!」とゆう描き方だったのに、どうする家康は緩いな。#強右衛門 #どうする家康
yomisukeそういえば、実家に山岡荘八の『徳川家康』と吉川幸次郎の『新書太閤記』が全巻あったな。
bibinyanko山岡荘八の「徳川家康」だと、長篠城に亀姫がいて、一緒に籠城したことになってたなー。史実と違うけどロマンマシマシではあった。
qtarox007@murdar_s 横山先生、山岡荘八『徳川家康』と新田次郎『武田勝頼』の別原作2作で鳥居強右衛門を描いているのですよね
kotone“「南無、弓矢八幡…」と言いかけて顔をゆがめて、「八幡大菩薩は頼み申さん。河童よ、悪鬼よ、狐狸よ、邪神よ、この強右衛門を向こうへ渡せ。用が済んだら、うぬら、この身を八つ裂きにして喰うてよいぞ」”山岡荘八版だとこんな。
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