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花村萬月

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経歴

花村 萬月(はなむら まんげつ。
東京都生まれ。父親は明治の生まれで、母親とは30歳ほど離れていた。生まれて間もなく蒸発した父親が小学校入学後に戻り、旧仮名遣いの本で読書を強制される。父親の方針により小学校を休みがちになったが、様々な学問の基礎を父親から教わる。父親は小学校4年生の時に亡くなった。
問題行動の多い子どもであったため小学校6年のときに児童相談所に送られ、福祉施設の東京サレジオ学園小学校、育英学院のサレジオ中学校へ進む。卒業後は都立高校に進学したが、3日目に喧嘩が原因で退学。17歳で京都に移り、ヒモ生活や肉体労働などで食いつなぐ。「悪さをして関東にいられなくなり、17歳で京都に逃げました」と回想しており、肉体労働に従事したのは、中卒で当時は長髪だったこともありアルバイト採用が断れることが多かったためといい、京都大学の寮やロック喫茶の2階などを転々として寝起きしていた。以前は議論を吹っかけてやり合うのが好きだったのに、ぱたっと話せなくなり、自分の知識が借り物だったと気づいて「俺はこの程度か」と愕然としたと振り返っている。
後述する病気治療のための骨髄移植でABO式血液型がO型からAB型に変わり、短気で手が出やすかった性格も怒らなくなったと語っているが、一方では作家として大成した2020年代においても、「中身はその頃と変わっていません」「家族を(自動車に)乗せていても運転は荒らいし、けんかはするし、反社会性は自分の中にあり続けている」とも述べている。
ギターが弾けたことから、20歳でキャバレー回りのミュージシャンになり、東京、京都、福岡などで活動。
薬物中毒からアルコール依存症になり入院。退院後は東京の歌舞伎町で博打三昧をしていたが、金持ちの人妻と知り合い、ともに日本中を旅する。その後、同棲していたクラブホステスの金で北海道旅行に行き、そこで綴った日記が旅行記のコンテストで佳作になったことで、小説家を目指すようになる。
1989年に小説すばる新人賞を受賞しデビュー。1998年には吉川英治文学新人賞、芥川龍之介賞を相次いで受賞する。
2009年、花園大学の客員教授に就任。
血液のがんである骨髄異形成症候群で2018年9月に骨髄移植を受け、さらに間質性肺炎、膀胱炎、前立腺炎、尿道炎を患ったほか、ステロイド剤の副作用で背骨4カ所を圧迫骨折した。「せっかくこれだけひどい目に遭っているんだから」と、痛みの表現を『ハイドロサルファイト・コンク』(集英社、2022年)として作品化した。題名は、かつて働いていた西陣織反物工場で使われていた漂白剤から採った。

受賞歴

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