中薗 英助|なかぞの えいすけ|男性、1920年8月27日 - 2002年4月9日は、日本の小説家・推理作家。福岡県出身。本名:中園 英樹(なかぞの えいき)。
旧制福岡県立八女中学校(現福岡県立八女高等学校)卒業。在学中、西洋史を教わった渡辺啓助の影響で『新青年』を愛読するようになる。卒業後は満州を経て北京へ遊学し、同仁会語学校などに学ぶ。
1940年、北京大学の文学院を聴講しながら『東亜新報』の学芸記者となる。かたわら同人誌『燕京文学』に加わり、創作活動を開始。1942年、「第一回公演」で北支那文化賞を受賞。
1946年、引き揚げ帰国し、新聞記者を経てフリーのジャーナリストとなる。
1950年、『近代文学』に「烙印」を発表。1954年、初の探偵小説「死電区間」を『中央公論 文芸特集』に発表。また『密書』(1961年)、『密航定期便』(1963年)は、当時、まだ日本では珍しかったスパイ小説で、新保博久は「この分野にいち早く鍬を入れた」とそのパイオニアとしての功績を評価している。
1963年、アジア・アフリカ作家会議に加わる。1974年には大江健三郎、小田実などとともに日本アジア・アフリカ作家会議設立の呼びかけ人となった。
1981年、『闇のカーニバル』により日本推理作家協会賞評論その他の部門受賞。
1988年、41年ぶりに北京を再訪、それを元にした「北京飯店旧館にて」を『中央公論 文芸特集』に発表。1993年、同作を含む連作小説集『北京飯店旧館にて』で読売文学賞受賞。
1995年、『鳥居龍蔵伝』により大佛次郎賞受賞。
2002年4月9日、肺炎により死去。81歳没。
2012年3月3日から4月22日まで、神奈川近代文学館にて「没後10年 中薗英助展 ―〈記録者〉の文学―」が開催された。
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