山口 洋子(やまぐち ようこ、1937年〈昭和12年〉5月10日 - 2014年〈平成26年〉9月6日)は、日本の著作家、作詞家。1985年(昭和60年)に直木三十五賞を受賞。愛知県名古屋市出身。京都女子高校中退。なお、「誰もいない海」の作詞者・山口洋子は同姓同名の別人。
料亭を経営していた資産家の父と、仲居をしていた母との間の私生児として生まれる。
16歳のときに高校を中退、ある男性の後ろ盾を得て名古屋市内で喫茶店「洋子」を開く。店は繁盛していたというが、雇われ店長に嫌気が差して3年で経営から手を引いた。
1957年(昭和32年)、東映ニューフェイス4期生に選ばれる。同期には水木襄・佐久間良子・室田日出男・曽根晴美・花園ひろみ・山城新伍がいた。しかし女優としては鳴かず飛ばずで、わずか2年ほどで芸能界から足を洗う。この頃安藤昇と知り合い、横井英樹襲撃事件(1958年)に関与したとして安藤が警察に追われると、自らの住んでいたアパートに安藤を匿っていた。本人も「安藤組の組員の末席をけがしている」と自認しており、アパートに出入りしていた安藤組の組員たちから「姫」と呼ばれるようになり、後のクラブの店名の由来にもなっている。
その後、東京・銀座でクラブ「姫」を開店。各界著名人を顧客として抱え、経営に手腕を発揮した。また、同店にはホステスとして、元ミス・ユニバース・ジャパンの飯野矢住代、女優の山口火奈子、常連客だった俳優の梅宮辰夫と結婚したが半年で離婚した大門節子らが在籍していた。1960年頃の銀座のクラブは妙齢のインテリホステスが主流だったが、山口は逆に「少々バカでも若くて美しい子を集める」方針を取り、それが他店で気兼ねしていた若い顧客を集める結果となった。
1967年(昭和42年)から友人で歌手の神楽坂浮子に提供した「銀座化粧」を皮切りに作詞活動を開始。「噂の女」「よこはま・たそがれ」「ふるさと」「夜空」「うそ」「千曲川」「夢よもういちど」「雨の東京」「ブランデーグラス」「北の旅人」「アメリカ橋」などの多数のヒット作があり、特に1960年代後半から1970年代前半にかけて目覚ましい活躍をした。読売テレビの視聴者参加型歌番組『全日本歌謡選手権』で山口と同じく隔週でゲスト審査員として出演していた作曲家平尾昌晃とはゴールデンコンビとして知られた。
1968年9月30日から立川談志と組んでTBSテレビ『0スタジオ おんなのテレビ』の月曜日司会に抜擢される。途中から金曜日の司会も兼任したが視聴率は振るわず、ワンクールで番組は終了した。
1980年代からは小説の創作活動も始める。小説家としては「姫」の常連客でもあった近藤啓太郎に師事した。1985年(昭和60年)には『演歌の虫』、『老梅』で直木賞を受賞。併せて、遠藤実が設立した日本音楽作家協会会長に就任後は協会を通じ、松井由利夫、冬樹かずみ等と後進の育成にも尽力した。
2014年9月6日、呼吸不全のため東京都内の病院で死去。1937|05|10|2014|09|06。没後に第56回日本レコード大賞・功労賞を受賞。
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