古川 薫(ふるかわ かおる、1925年6月5日 - 2018年5月5日)は、日本の小説家。妻は歌人の森重香代子。
山口県下関市出身、18歳で航空機製造会社に入社し、1945年に召集され、兵庫県・丹波篠山の航空通信連隊で教育期間中、終戦を迎えた。
古川は戦後、宇部市立高等学校(現在の山口県立宇部中央高等学校)定時制に編入学、担任の中野真琴と共同して学校発行の機関同人誌『里程標』を発行する。古川は1950年発行の創刊号に400字詰め原稿用紙21枚の小説「ジープの家」を発表、敗戦後の混乱を反映した佳作であり、初期の古川文学を知る貴重な資料となっている。
古川は2度、芥川賞受賞作家の火野葦平の講演を聴いたことがある。1度目は1939年(昭和14年)春ころ、火野葦平が宇部市の渡辺翁記念会館で講演したとき、古川は兄たちに誘われて見にいった。壇上の火野は軍服姿で腰に銃剣をつるしていた。2度目に講演を聴いたのは、1951年(昭和26年)夏の夕刻、古川は学生だった。アルバイト先の小野田セメントの勤めが終わっての帰り、「火野葦平来る!」という手書きのポスターが目に入り、すぐ近くの公民館だったので、古川はのぞくことにした。会場は満員で、火野はややくたびれた軍服を着ていた。
1946年(昭和21年)、世界的なヴァイオリニストの諏訪根自子が、山口で占領軍のためにリサイタルやるというので、古川は会場に入るところを見に行った。占領軍の将校たちがずらっと並んで挙手の礼。一番えらい米軍の大佐か少佐かが握手を求めると、背をピンと伸ばして握手する。そして堂々と会場に入っていく。芸術というものはすごいもんだなと思った。それで書くことが好きだったので、小説家にでもなってやろうかと思った。
1953年に山口大学教育学部を卒業する。中学教師を経て山口新聞に入社、記者や編集局長を務める。1965年(昭和40年)上半期に小説『走狗』で第53回直木賞候補になり初候補、1970年に退社し専業作家となり、1973年(昭和48年)下半期に『女体蔵志』で第70回直木賞候補、1974年(昭和49年)下半期に『塞翁の虹』で第72回直木賞候補、1977年(昭和52年)下半期に『十三人の修羅』で第78回直木賞候補、1978年(昭和53年)下半期に『野山獄相聞抄』で第80回直木賞候補、1980年(昭和55年)下半期に『きらめき侍』『刀痕記』で第84回直木賞候補、1981年(昭和56年)下半期に『暗殺の森』で第86回直木賞候補、1988年(昭和63年)下半期に『正午位置(アット・ヌーン)』で第100回直木賞候補、1989年(平成元年)上半期に『幻のザビーネ』で第101回直木賞候補
となる。
第104回(1990年下半期)直木賞の選考委員会が1991年1月16日夜、東京・築地の「新喜楽」で開かれ、『漂泊者のアリア』で古川が受賞した。今回10回目と史上最多候補、当時は過去の受賞者では最高齢65歳。夜7時半すぎ、自宅で古川は「受賞決定」の知らせを受けた。早速、報道陣が待ち構える近くの下関市長府のホテルで記者会見。「肩の荷が下りた感じです」「一時は直木賞と縁を切ろうと思ったこともあったが、待っていてよかった」、いかにもほっとした表情を見せた。「直木賞は私の文学生活とずっと平行してあったがやっと交差することができました」。喜びをかみしめるように言葉をつないだ。山口県出身の作家で直木賞受賞は古川が初めて。直木賞作家の白石一郎(福岡市)ら文学仲間が駆け付け「おめでとう」と心から祝福した。渡辺淳一選考委員は「古川さんはほぼ満票で決まった。藤原義江の一生が過不足なく、愛情を持って書けている。多くの女性遍歴などを重ねるに至る屈折した背景が、はっきり浮かんでくる。非常に安定した文章で、明確に書かれている」「藤原義江への思い入れと大正、昭和初期の時代背景を的確な文章で描き切っている」と話している。白石一郎は「本当におめでとうと言いたい。私自身、八回目の候補で受賞したが、十回目と最多候補だった古川さんにはやっと済みましたねという気持ちだ。今後は体を大事にして頑張ってほしい。」と話している。
直木賞各選考委員の選評、渡辺淳一選考委員は「今回のはまさしく手応えがあった。藤原義江という恰好の素材を得たこともあろうが、読みすすむうちに主人公に惹かれ、頁を追うのを急がされたのは久し振りである。」「この快作で受賞されたことを、著者とともに喜びたい。」、平岩弓枝(文化勲章受章作家)選考委員は「登場人物の描写が秀れていて感銘を受けました。」「一人の人間の人生の怖しさ、面白さ、哀しさを描き切った古川さんの力量に感動しています。」、陳舜臣選考委員は「フィクションをまじえないという原則をつらぬき、藤原義江にまつわる大量の資料をみごとに処理している。」「これを機にさらに大きな噴火を期待したい。」、井上ひさし選考委員は「藤原義江が人生の転機にさしかかるたびに現れる善意の人びとを入念に描くことで、作者は「人が人を創る」という人生の真実の一つを読者に分かち与えることにみごとに成功した。読後感がまことに爽やかなのは、おそらく作者のこの姿勢に起因するのではあるまいか。また、読後の読者は、「人生とはものさびしいものだ」という感想を抱かせるかもしれない。この一種の哀感は、作者の年輪が自然に紡ぎ出したものにちがいない。おもしろく、かつ深い作品である。」、田辺聖子(文化勲章受章作家)選考委員は「抑揚の利いたそっけないほどの文体が、かえって波乱に満ちた型やぶりの芸術家の生涯を描き出すのに功あった。時代に翻弄され、みずからの性格につきうごかされつつ転変明滅する主人公の人生。人生と時代がくっきり顕っている思いだった。作者の目は冷静だが、暖い。志高き小説と思った。ほとんど満票に近かった。古川氏のご受賞をお祝いしたい。」、五木寛之選考委員は「今回の候補作のなかでは、古川さんの『漂泊者のアリア』が最も安定した作家的力量を発揮されていた。」「全選考委員が一致しての評価であれば、異論のあろうはずがない。今後の若々しいご活躍を心から期待したいと思う。」、黒岩重吾選考委員は「今回の候補作は充実していた。私は年末から体調を崩していたが、読んでいて愉しかったのは、作品の質の高さによる。その中で私が最も惹かれたのは、古川薫氏の「漂泊者のアリア」である。」「淡々と描きながらも、主人公の人生が重くのしかかって来るのは、作者の才能に年輪が加わったせいではないか。若い作家には到底描き得ないテーマがあることを、古川氏は、受賞作で示した。直木賞にとって大きな収穫であろう。」、山口瞳選考委員は「なかでは古川薫さんの『漂泊者のアリア』が抜きんでていて一歩も二歩もリードしている。」「ともかくこの小説は他の候補作と較べると、プロの文章はこういうものだと思わせるくらいの力がある。安心して読めるものである。」「古川さんが純粋にもっといいものを書きたいという願いを何十年も保ち続けたことに、ただただ頭が下がる思いだ。『漂泊者のアリア』でそれを達成した(私は古川さんの最上の作だと思っている)ことを作者
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