三木 卓(みき たく、1935年〈昭和10年〉5月13日 - 2023年〈令和5年〉11月18日)は、日本の小説家、詩人、ノンフィクション作家、児童文学作家、翻訳家。日本芸術院会員。紫綬褒章。芸術院恩賜賞。
詩人として出発し、『東京午前三時』(1966年)、『わがキディ・ランド』(1970年)などの詩集をもつ。中国体験を素材にした『鶸』(1972年)で芥川賞受賞。ほかに『砲撃のあとで』(1973年)など。
本名は冨田 三樹。
東京に生まれる。満洲日日新聞などの新聞記者だった父に連れられ、2歳から10歳まで大連に移住して過ごす。
帰国後は父の故郷静岡県御前崎近くに育ち、母子家庭の貧困と小児麻痺による左足の障害に苦しみながら、静岡県立静岡高等学校を経て) 1955年早稲田大学第一文学部露文科に入学。
大学卒業後は日本読書新聞に編集者として勤務) 1971年に詩集『わがキディ・ランド』で高見順賞受賞。
その後、小説も書き始め、「ミッドワイフの家」で芥川賞候補になり) 1973年に「鶸」(連作『砲撃のあとで』のうちの一編)で芥川賞を受賞。中でも破傷風にかかった娘を描写した初期の中編『震える舌』(1975年)は高く評価され、野村芳太郎によって後に映画化された。
1980年代からは三浦半島のリゾートマンション(横須賀市芦名)に住み、小説を書くようになる。1984年に児童文学『ぽたぽた』で野間児童文芸賞) 1986年に小説『馭者の秋』(で平林たい子文学賞) 1989年に小説『小噺集』で芸術選奨文部大臣賞を受賞する。
1994年、心筋梗塞のため死にかけたことから鎌倉市雪ノ下に居を移し、このときの臨死記録をノンフィクション『生還の記』として発表する。その後) 1997年に児童文学『イヌのヒロシ』で路傍の石文学賞、同年に小説『路地』(で谷崎潤一郎賞。1999年、紫綬褒章受章。
2000年に小説『裸足と貝殻』で読売文学賞) 2006年に『北原白秋』で毎日芸術賞、藤村記念歴程賞、蓮如賞をそれぞれ受賞する。2007年に文学諸分野での長年の功績が認められ、日本芸術院賞・恩賜賞を受賞、日本芸術院会員となる。2011年春の叙勲で旭日中綬章を授与される。2012年、詩人だった妻福井桂子の思い出を綴った私小説『K』を上梓し、伊藤整文学賞を受賞。
2023年11月18日、老衰のため神奈川県鎌倉市の自宅で死去。88歳没。叙従四位。
from wikipedia(名前を用いての自動収集のため、別人の場合もあることをご了承ください)