津島 佑子(つしま ゆうこ、1947年3月30日 - 2016年2月18日)は、日本の小説家。本名は津島 里子(つしま さとこ)。
東京都北多摩郡三鷹町(現在の三鷹市)生まれ。太宰治と津島美知子の次女。『謝肉祭』で文壇に登場した。父、兄、長男との死別から「不在の者」をモチーフに、人間関係における孤絶と連帯の実相を追求し、高い評価を受けた。現代文学(昭和後期から平成)を代表する作家の一人である。また、作品は英語・フランス語・ドイツ語・イタリア語・オランダ語・アラビア語・中国語などに翻訳されており、国際的にも評価が高い。
1歳のとき父を失い。在学中、ガリ版同人誌『よせあつめ』を創刊。処女作『手の死』『夜の……』を発表。同年「文芸首都」会員となる。1967年、成人式を迎えるに際して山梨県の富士五湖を訪れ、父の文学碑を見る。白百合大学大学卒業後、1969年4月、明治大学大学院(英文学専攻)に入学date=2012年8月|するも、ほとんど講義に出席せず。
1970年11月、結婚により財団法人放送番組センターを退社した。1971年、第一作品集『謝肉祭』を刊行した。この時期は母子家庭のテーマを繰り返し描く。1972年5月、長女・香以(石原燃)を出産した。後年夫とは不和となり離婚した。date=2012年8月|その後津島には新たな私生活のパートナーとなる男性が現れたが、この男性とは再婚せず別離。またこの男性との間に1976年8月、長男を出産するが、長男は1985年3月に呼吸発作のため死去した。この体験は後に『夜の光に追われて』『真昼へ』などの作品の主題となる。
1991年、湾岸戦争への自衛隊派遣に抗議し、柄谷行人、中上健次、田中康夫らとともに『湾岸戦争に反対する文学者声明』を発表した。
1991年10月、パリ大学国立東洋言語文化研究所に招聘され翌年6月まで日本の近代文学を講義した。
1998年、構想から5年をかけた作品『火の山―山猿記』を完成させた。家族、生と死、言葉の隔たりといったそれまでのテーマを集大成し谷崎潤一郎賞・野間文芸賞を受賞した。この作品は後に2006年4月から放送のNHK連続テレビ小説『純情きらり』の原案となった。
2000年から2015年まで川端康成文学賞選考委員、2000年から2014年まで野間文芸賞選考委員、2002年から2012年まで読売文学賞選考委員、2007年から2014年まで朝日賞選考委員をそれぞれ務めた。
2016年2月18日、肺がんのため死去した。68歳だった。
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