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村上春樹

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経歴

村上 春樹(むらかみ はるき、Haruki Murakami、1949年〈昭和24年〉1月12日 - )は、日本の小説家・翻訳家。京都府京都市伏見区生まれ、兵庫県西宮市・芦屋市育ち。
1979年、『風の歌を聴け』で群像新人文学賞を受賞してデビューする。1985年、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』で谷崎潤一郎賞を受賞する。1987年発表の『ノルウェイの森』は2009年時点で上下巻1000万部を売るベストセラーとなり、国民的な作家となる。1993年、米誌ニューヨーカーの専属作家となり英語圏での紹介が進み、2005年の『海辺のカフカ』の翻訳は米紙ニューヨーク・タイムズ 年間の「ベストブック10冊」に選ばれるなど大きな反響を呼ぶ。
2006年にチェコのフランツ・カフカ賞をアジア圏で初めて受賞した。その前年と前々年のこのカフカ賞の受賞者がそれぞれ各年のノーベル文学賞を獲得したことから、彼もノーベル文学賞を受賞するのではないかとの見方がこのとき以降広まった。
著作はニューヨーク・タイムズのベストセラーリストにあがりgroup="注"|『職業としての小説家』の「第十一回 海外へ出て行く。新しいフロンティア」によると次の通りである。「そして二〇〇〇年を過ぎて、作品で言えば『海辺のカフカ』(アメリカでは二〇〇五年に出版)のあたりから、僕の新刊は「ニューヨーク・タイムズ」の全米ベストセラー・リストに、あくまで末席からではありますが、顔を出すようになってきました。つまり東海岸・西海岸のリベラル傾向の強い大都市エリアだけではなく、内陸部をも含んで、僕の小説スタイルが全国的に受け入れられるようになってきたということです。『1Q84』(米出版二〇一一)がベストセラー・リスト(フィクション・ハードカバー)の二位になり、『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』(同二〇一四)が一位になりました。でもここまで来るにはずいぶん長い歳月を要しました。一発で派手にどんと当てたわけではない。ひとつひとつ作品を地道に積み重ね、ようやく地歩を固めることができたという感じです。」 、アメリカ文学研究者の柴田元幸は村上を現代アメリカでも大きな影響力をもつ作家の一人と評している。英語圏以外でも50ヵ国語以上で翻訳されている。
その他の主な作品に『羊をめぐる冒険』、『ねじまき鳥クロニクル』、『1Q84』などがある。
キャリアの最初期から翻訳を精力的に行い、レイモンド・カーヴァーを日本に紹介したほか、スコット・フィッツジェラルド、トルーマン・カポーティ、レイモンド・チャンドラーなど多数の作家の作品を訳している。また、エッセイ、紀行文等の著作も多数発表している。
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1949年、京都府京都市伏見区に出生する。父親の村上千秋が甲陽学院中学校の教師として赴任したため、まもなく兵庫県西宮市の夙川に転居。父は京都府京都市蹴上安養寺住職村上弁識の二男であり、仏教系の西山専門学校を経て京都帝国大学文学部卒、学業の途中で日中戦争に巻き込まれ、それによって深くトラウマを負った。母は大阪・船場の商家の娘であった。また両親ともに高校の国語教師であり、本好きの親の影響を受け読書家に育つ。1955年に西宮市立浜脇小学校入学。4年生の頃から、急に本が好きになり、ジュール・ヴェルヌや、デュマの小説、ホームズシリーズやルパンシリーズを読むようになった。また、娯楽がなかったため、父・千秋に連れられ、西部劇や戦争映画を見た。西宮市立香櫨園小学校卒業。芦屋市立精道中学校卒業。
1964年に兵庫県立神戸高等学校に進学。この頃から、国語教師であった父に『枕草子』や『平家物語』といった古典文学を暗唱させられ、その反動で海外文学に興味を移す。最初に読んだ長編小説は、ショーロホフの『静かなドン』だった。この頃は、ツケで本が買え、親が購読していた河出書房の『世界文学全集』と中央公論社の『世界の文学』を一冊一冊読み上げながら10代を過ごした。また中学時代から中央公論社の全集『世界の歴史』を繰り返し読むgroup="注"|第一次世界大戦後から第二次世界大戦後にかけてのドイツの歴史に興味があるという読者からのメールに対し、村上は次のように答えている。「僕は中学校二年生のときにウィリアム・シャイラーの『第三帝国の興亡』(名著です)を読破し、しばらくナチの歴史にのめり込んでいました。あの時代の歴史は本当に面白いです。面白いといってはなんだけど、濃密というか、普通じゃないというか、学ぶべきことが山ほどあります」。在学中には新聞委員会に所属し、2年生の時には編集長も務めた。また、初めてロス・マクドナルドの『わが名はアーチャー』をペーパーバックで読む。
1年の浪人生活ののち、1968年に早稲田大学第一文学部に入学、演劇専修へ進むgroup="注"|村上は早稲田大学に入学した理由ときっかけを次のように述べている。「映画演劇科があったというのがいちばん大きな理由です。関西の大学にも受かっていたので、そちらに行くこともできたし、そうすればもっと穏やかでのんびりとした学生生活を送っていたと思うんですが、なぜか急に東京に行きたくなって、早稲田進学を選びました(入学金を振り込む期限の前日に決心しました)」。在学中は演劇博物館で映画の脚本を読みふけり、映画脚本家を目指してシナリオを執筆するなどしていたが、大学へはほとんど行かず、新宿でレコード屋のアルバイトなどをしながら、歌舞伎町東映でほとんど毎週ヤクザ映画を観た。また歌舞伎町のジャズ喫茶に入り浸る日々を送る。1970年代初め、東京都千代田区水道橋にあったジャズ喫茶「水道橋スウィング」の従業員となった。

受賞歴

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